前書き
前書きです。
かなり長くなりそうなので、特に読まなくてもという方は本編へどうぞ!!(いろいろ青臭いこと書いてます。)
まずは、(毎度のことですが)今回の「その後」の話は当然ながら個人的捏造ですので、「俺の考えと違う! バカヤロー!」と感じても、根に持ってはいけません。あくまで一つの考え方です。今回書いた文章にしても、「アシタカもサンも、踏鞴場の人達も、その後はいろいろ大変だろうなぁ~」という個人的感想にのっとって書いているので、登場人物は皆さんいろいろ大変そうです。
※以下、かなり青臭いこと言ってますけど、スタジオジブリ作品の解釈なのでどうしてもそういうふうになってしまいがちです...。そこはご了承を。
今回、話を考えるにあたって、どうしても宮崎監督の言葉が重くのし掛かりました。監督、もののけに関するインタビューなどで知る限り、「その後」については結構厳しい考え方をもっていらっしゃいますよね。アシタカは大変だろうっていう。それ以前に、「『もののけ姫』はこうして生まれた」(本・DVD)でも分かるように、そもそも監督が作品に込めたもの(主題と言っていいんでしょうか...)が、厳しい現実社会を反映したものなので、作品自体が厳しい現実を突きつけるようなものなのかもしれません。監督があれだけ厳しい問題を作品に込めていたと知って以来、個人的にその事実が重くのしかかっています...。
(そんな宮崎監督の考え方を受けた上での)私自身のもののけ姫の解釈は、「平成狸合戦ぽんぽこ」と「耳をすませば」を足した作品、というものです。つまり...
「平成狸合戦ぽんぽこ + 耳をすませば = もののけ姫」
みたいな感じです。ちなみに...
「平成狸合戦ぽんぽこ + 耳をすませば = On Your Mark」
にもなるような気がします。
「は? こいつ何言ってんだ?」となる方もいらっしゃるかもしれませんが、ちょっと待ってください。
「ぽんぽこ」はご存知、多摩ニュータウンの開発に際して、もともとそこに生きていた狸達が人間に対して抵抗する様を、おもしろおかしく描いた作品です。つまり、作品自体は和やかに観ることができますが、実際には人間の(身近な)「自然破壊」を描いたもので、冷静になってみると到底笑えるような作品ではないわけです。(「ぽんぽこ」の最後の台詞なんて、人間からしてみたらグサっときますよね...。要するに、兎やイタチは自ら「姿を消した」のではなく、「人間が消した」と言っているわけですよね...。そりゃあグサっときますよぉ...。)一方の「耳をすませば」は、(ジブリ版では)多摩市・聖蹟桜ヶ丘駅周辺を舞台に、雫と聖司の恋愛と成長を描いています。
そうなんです。言われなくてもすでに分かっている方も多いでしょうが、この二つの作品は同じ場所(多摩市)を舞台にしています。雑誌のインタビュー記事などで読んだ方もいると思いますが、これは決して偶然ではないんです。それは、「耳をすませば」のオープニングの背景画が、前年公開の「ぽんぽこ」のエンドクレジットと同じものを描いている(=二つの作品は繋がっている)という事実が証明しています。もはや確信犯ですよね? それに、「耳をすませば」の舞台をあえて原作とは異なる多摩市周辺にした時点で、もうそれは偶然ではなく必然ですよね。
じゃあ、その意味するところは何なのか。
なぜ、あえてこの二つの作品の舞台を同じにしたのか。
ここで重要なのは、あえて同じ舞台にして描いた二つの作品が、「人間による自然環境の破壊を描いた作品」と、「少年少女の恋愛を描いた作品」であったという点だと思います。
要するに、「耳をすませば」で脚本を担当した宮崎監督は、当時の子供達や若い世代にこう言いたかったのではないでしょうか。「君達は、狸達を追い出した場所(=自然を破壊した場所)で恋をしたり、悩んだりして成長し、生きていくんだよ。」と。
こう書くと、なんだか監督に責められているみたいですが、全然そんなことはないと思います。むしろ、当時の子供や若い人達に対し、肯定的な意味合いでそう言っているような気がするんです。だって、もし自然を破壊した世界で生きていくことを否定的・悲観的に捉えるならば、狸達が追い出された地での雫と聖司の恋は実らなかったはずですし、ラストシーンで二人が眺めた朝焼けは美しくなかったはずなんです。だけど、宮崎監督は脚本の中で、雫と聖司の恋をハッピーエンドで終わらせ、ラストの二人が眺める朝焼けを美しく描いていますよね。だから、肯定的な意味で「君達はこういう場所で生きていくんだよ」と言っていると思うんです。個人的には。
もちろん、宮崎監督は自然環境の破壊を肯定しているわけではないと思います。「風の谷のナウシカ」で明らかなように、宮崎監督は人間の環境破壊についてかなり厳しい意見をお持ちだと思われます。だけど、例え否定すべきはずの「自然を破壊して成立した世界」だとしても、その世界で子供達や若い世代がこれから生きていくことまでを否定することはできない...。そう考えて、「耳をすませば」の脚本を書いたのではないでしょうか。宮崎監督は、脚本を担当した「耳をすませば」について、各方面で「あれは物の見方を大きく変えたんです」というようなことをおっしゃっていましたが、それはこういうことだったんじゃないかと、私は考えています。
...と、ここまで「ぽんぽこ」と「耳をすませば」の二作品について書きましたが、「もののけ姫」も、最終的に言いたいことは同じなんじゃないかと思ってるんです。
物語の序盤、アシタカは何もしていないのに突然「死」の定め(当然、寿命による『死』とは異なる意)を突き付けられます。これは、この世に生まれてきて何もしていないにも関わらず、突然目の前に経済不況や政治不信、そして環境問題が突きつけられている現代の子供達を象徴しているような気がします。つまり、アシタカは現代に生まれてきた子供達の象徴だと思うんです。何もしていないのに、ただその場にいた、生まれたというだけで目の前に「死」(=不況、環境問題等々)を突き付けられているという意味で。
そして、アシタカ(=現代の子供達)は、自然豊かなエミシの村を出て行かざるを得ない状況になるわけです。そして辿りついたのが踏鞴場。つまり現代の世界ですよね。人々が自然の環境を破壊しながら生きている地。
ここまで読まれた方には、「おいおい、ずいぶん悲観的じゃないか。」と言われそうですが、ここから先が重要です。(誤解される恐れがあるので、ここまで読んだ方は、必ず最後まで読んでください。)
アシタカは、辿りついた踏鞴場(人々が自然界を壊しながら生きている現代の世界)でサンと出会うわけです。そして、一騒動あった後、サンと共にその世界で生きることを決意するわけです。これ、狸達を追い出した(自然を壊した)地で、雫と聖司が出会い、恋をし、成長していく姿と重なりません?
つまり、自然破壊を描いた高畑監督の「平成狸合戦ぽんぽこ」と、宮崎監督が脚本を担当し、あえて「ぽんぽこ」と同じ舞台で少女と少年の恋模様を描いた「耳をすませば」。この二つの作品は、二つ合わせて「君たちが生きていく地は、自然を壊しながら成立しているんだよ」と言っている気がするのですが、上記二つの作品に続いて公開された「もののけ姫」は、それと同じことを一つの作品で言っていると思うんです。
だから冒頭で、「平成狸合戦ぽんぽこ + 耳をすませば = もののけ姫」だと(個人的に)解釈していると言ったんです。(うまく伝わったでしょうか...)
そして、それは「On Your Mark」も同じような気がします。あの作品の中で、羽を付けた少女は二人の男(CHAGEとASKA!?)によって救い出されます。そして逃げた先は...
...原発事故のあった土地でしたよね。チェルノブイリを意識した...。
少女が羽ばたいていったのは「Extreme Danger」と書かれた地。いたるところに放射性物質の標識が置かれた地。一見、青い空が広がり豊かな自然があるように見えるけど、そこは私自身を含め、人間が自らのために利用していた原子力発電の事故により放射性物質で汚染してしまった地ということですよね...。だけど、それでも少女が羽を伸ばし、羽ばたいていったのはそういう世界だったわけです...。「On Your Mark」はその内容の解釈についていろんな議論がなされているようですが、私自身は、あの羽の付いた少女は現代の子供達を表しているのではと考えています。単純すぎるかもしれませんが...。
もちろん、ここで書いたことは全部、管理人の勝手な解釈なので、実際に宮崎監督が何を言いたかったのかは分かりません。でも、「『もののけ姫』はこうして生まれた」で鈴木Pさんがおっしゃっていたように、当初行き詰まっていた「もののけ姫」の脚本が、この「On Your Mark」の制作をきっかけに、(それまでの構想とは全く別の「もののけ姫」を描くという形で)一気に前へ進んだことを考えると、「On Your Mark」と「もののけ姫」は双子の関係(=同じ考えのもとに作られた作品)であってもおかしくはないような気がします。(そして、それを本能的に感じ取っている方もいるのではないかと...)
ただ、ここまでの管理人の解釈の説明では誤解されそうなのですが、私はなにも「これらの作品のテーマは『人間による自然破壊』だ!」と言っているわけではないんです。この点、「もののけ姫」について批評した評論家の方の多くも「テーマは環境問題」と勘違いしているのですが、「もののけ姫」の内容として「人間VS自然」という対立構造が含まれているのは確かですが、それはあくまで内容の一つであり、主題ではないです。断言します。
これについては、「『もののけ姫』はこうして生まれた」の中での宮崎監督の発言からして明らかです。要するに、「自然環境の破壊(=人為的に自然界のバランスを崩すこと)は止めましょう」なんてのは誰だって分かってる当然のこと(問題は私を含めそれを実行できない点なのですが、それは置いといて)なのですから、それを今更おおっぴらに言ったって何も伝わるものはないということだと思います。さすがに監督のように『植物を大事にしましょうなんて映画もね。くだらないですよね。...分かってるんですから。そんなこと。』とまでは言いませんが。(もちろん、だからといって環境問題を軽視しているわけではないと思います。実際、もののけの最後にサンが「...でも人間を許すことはできない」と言って、はっきりと釘を刺していますし。)
ちなみに、もののけを批判している批評家の方には、この作品が環境問題をテーマにしていると勘違いしている方が多いような気がします。もののけに限らず、作品に関する見当違いの批評は勘弁してほしいです...。
それじゃあ、「もののけ姫」を含め、これらの作品は何を主題に据えているのか。
さきほど私は、「ぽんぽこ」と「耳をすませば」の繋がりや、「もののけ姫」の内容を自分なりに考えた上で、これらの作品は「君たちが生きていく地は、自然を壊しながら成立しているんだよ」と言いたいんじゃないだろうかと書きました。でもこれ、子供達や若い世代からすれば、ちょっと厳しい考えですよね。「自分達が生きていく世界は、自然を破壊した上に成り立っているのかぁ~」と、まるでそこで生きるのが罪のような気さえします。狸達を追い出した地で雫と聖司が青春を謳歌しているのを見れば、否応なしにそう考えてしまいがちです。
でも、いずれの作品も、そこで生きていく子供や若い人達を責めてなんかいませんよね。むしろ、応援してるんです。だって、(さっきも言いましたが)雫と聖司がラストに眺めた朝焼けは美しいものでしたし、「On Your Mark」で少女が羽ばたいた先も眩しく輝いていました。そして何より、「もののけ姫」の有名なキャッチコピーが言ってますよね。ずばり、「生きろ」と。
これらの作品で、現在・未来の世界が自然を破壊した上に成立しているという厳しく暗い事実を観衆に突きつけながら、一方では子供達に「生きろ」と言う...。
結局のところ、まとめるとこういうことになると思います。「君達の世界は、自然を壊した上に成り立っているかもしれない。そしてそこは(環境問題など)問題が山積みの世界かもしれない。でも、それでも君達はしっかりこの世界で生きるんだよ。」
私は、「ぽんぽこ」と「耳をすませば」の二作、それに「On Your Mark」、「もののけ姫」が描いているのは、環境問題や経済不況、自然災害、当時の血生臭い事件といったあらゆる問題が山積みの現代・将来において、「そういう暗い世の中でもしっかり生きていくんだよ」という、子供達へのメッセージのような気がしてならないんです。(余談ですが、「もののけ姫」の次の宮崎監督作品である「千と千尋の神隠し」では、さらに、「生きるには働かなくちゃいけない。だけど、自分を忘れちゃ駄目だよ」と言ってるような気がします。)
もちろん、インタビュー等の取材を見る限りけっこう厳しい監督ですから、きれいごとで終わらせるわけがありませんし、実際、「もののけ姫」の中では、これでもかというくらいに厳しい現実を描いています。ただ、それでも生きろってことなんでしょうね...。
「暗い世の中でも生きなさい」というのは、確かに消極的ではあります。中には、「子供には未来は明るいと言わなければ駄目だ!!」という方もいるかもしれません。だけど、実際問題、今の世の中も近い将来も、明るくないでしょう。高度経済成長期や、その後の安定成長期、そしてバブルの当時は、日本は底抜けに明るく、希望に満ちていたのかもしれません。ところが、1991年になってバブル崩壊。多くのリストラが行われた上、それまでの安定した日本型雇用は消滅。「就職氷河期」となり、毎年のように就職機会を逃し、働く意欲を無くしてしまった人の一部は後の「ニート」となりました。そんな大不況に追い打ちをかけるように、阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件が発生...。もののけ姫が制作されたのは、そんな時代だったわけです。そして忘れちゃいけないのが、今も当時と何一つ変わっちゃいないということ。2008年初頭には「いざなぎ越え」とかいって、好景気がありました。ところが、蓋を開けてみれば一般国民には「実感なき好景気」。それでも「これからよくなる」と皆が思った矢先に、同年秋のリーマン・ショック...。100年に一度と言われる大恐慌に見舞われると、今回も経済が回復しないうちに東日本大震災がありました...。
過去、「失われた10年」と呼ばれたバブル崩壊後の政治・経済は、今では「失われた20年」ですよ…。いまだにこの国の借金は増えるばかりですし…。ギリシャや夕張のようになるのは時間の問題なのかもしれません…。(当然、日本の事情は他とは様相が異なりますが、「あり得ない」とは言えないと思います。)
もちろん、経済が全てではないですよ。だけど、日々の生活は家計という「経済」で出来てるんですから、これが崩壊すれば恐ろしいことになるのは目に見えてますよね...。そして不況だけが今の問題というわけではなく、環境問題というとてつもなく巨大な課題が自分達の目前に立ちはだかっているわけです。これももう、目に見える形で現れてきましたし...。それこそ、将来に渡って確実に影響のある問題です。(他人事のように言ってますが、自分にもまた責任があるわけですから、荷が重いです。)
これだけ将来に確実に不安のある世の中で、それでも子供に嘘付けっていうなら、それは責任放棄ですって。
だからこそ、厳しい現実を描いた上で、現実を直視した上で、「生きろ」ってことなのではないかなぁ、と。
(もう一度言いますが、かなり青臭いこと言ってますけど、作品の内容が内容なので、どうしてもこういうふうになってしまいがちです。そこはご了承を。)
か~なり長くなりましたが、以上が管理人のもののけの解釈です。これから読んでいただくものは、このような考え方に基づいた話になっています。
今回、まえがきと同時に掲載するのは第一章ということですが、予定では全三章にしようかと思っています。(注 後日、三章では収まらないことが判明)ただ正直なところ、完結するのがいつなのか想像がつきません...。先にお伝えしておきますが、完結は早くても数年後です。(冗談ではありませんよ!!) …といっても、とりあえず思いついた部分から並行して書いているので、実はもう既にラストシーンは書き終えています。あとは、どうやってそこに辿りつくか、です。
とにかく、もののけの話を書くとなるといろいろ疲れるので、なかなか更新しません。...遅筆というのもありますが...。まぁ、長い目で見てやってください。
最後になりましたが、こんな果ての果てにあるサイトまで御来訪いただき、ありがとうございます。これからも目立たぬここで、ひっそりとやっていきたいと思います。
先述の通り、先は長そうです(笑)
もののけ好きの皆様、こうなったらもう公開15周年でも20周年でも、あるいは25周年でも変わりありません!今後とも末長くよろしくお願いいたします!!
以上、前書きでした~。
...あ、書き忘れましたが、プロローグに進む前に、ぜひもののけのサントラを聴いて気分を高めてください!
...そうすれば、下手な文章も気にならない...かも。
(2012.8.12)
※ 本文は2012年掲載当時の文章にサイト移転に伴い若干の加筆修正を行ったものです。(といっても文量を調整するような細かい変更がほとんどです。内容自体は2012年当時と変わっていませんので、現在の状況と比較して違和感を感じても悪しからず。)