犬神襲来
雨脚が激しい。
木々が伐採され、強烈に降り注ぐ大粒の雨に晒されていたその山道は泥沼と化し、足場は安定しなかった。牛と牛飼い、そしてその護衛の石火矢衆からなる隊列の進む道は、一歩踏み外せば崖となっている。ただでさえぬかるむ地面に足を取られれば、間違いなく奈落の底へと落ちていくような場所だった。
「…雨脚が強くなりましたな。」
エボシ御前と共に、隊列の中ほどを進んでいたゴンザが口を開く。
「いま山犬どもに襲われれば、ただではすまぬぞ。」
エボシは立ち止まり、隊列の様子を確かめた。牛飼いも護衛の者も、皆疲労で足取りが重い。
「この雨では石火矢も当てにすまい…。」
一行は雨の中を進む。周囲には霧が立ち籠め、上空は暗い雨雲で覆われていた。辺りは薄暗く、雨粒が地面に打ち付ける音ばかり耳に入ってくる。雨脚は時間が経つほどに激しくなってきていた。
「…エボシ様、皆疲れ果てております。一度休息をとってはいかがかと…。」
隊の状況を見かねたゴンザが言った。
「この道を抜ければ踏鞴場は近い。下手に時間を掛けてはかえって危険だ。休まず進むぞ。」
そう言い、エボシは歩を進める。ゴンザはその後を追った。
「…この雨では山犬も出て来ぬのでは?」
「奴らとて石火矢が雨に弱いのは知っている。…山犬どもがこの好機を逃すはずがなかろう。」
石火矢には、雨に濡れないよう油紙が巻かれていたが、それでも長い間湿気に晒されていれば、火薬への多少の影響は免れることはできない。
エボシは再び足を止め、無残に荒れ果てた山々を見上げた。そして隊列に目をやり、見渡す。ゴンザも警戒するように周辺の様子を窺った。彼の言うように、隊の状況は思わしくない。重い空気の中、エボシはその場にいる者達に聞こえるよう叫んぶ。
「皆、あと僅かだ! 油断すまいぞ!」
その直後だった。石火矢衆の一人が声を上げた。
「出たぞぉ! 犬神だ…!!」
皆の視線が、荒れた山に集まる。
暗い中、不気味なまでに白い犬神の姿が、そこにはあった。