祟り神

 猪は走り続ける。森から森へ、ただただひたすらに。

 どれほどの道のりを後にし、どれほどの時が過ぎたのかは分からない。行く先、目の当たりにした人間の村々は全て破壊した。しかし、それでも身の内に滾る怒りや憎しみが治まることはない。

 猪は己の一族を皆殺しにされ、森を奪われた。人間の手によって、全てを焼き尽くされたのだ。身体深くに感じる痛みは耐えがたい苦痛となり、煮え滾る憎しみの渦と相俟って人間への恨みの念を増大させた。

 全てが耳に残っている。

 焼かれ、殺されていく仲間達の声が聞こえた。森が燃え、木々が倒れていく音が聞こえた。

 自らの意思で走り続けているのではない。身体中を包み込む悲しみや怒り、憎しみや苦しみがそうさせるのだ。止めることはできない。

 次第に、身体中が燃えるような感覚に襲われていく。それは全ての思考を呑み込み、身も心も支配していった。朦朧とする中、猪はそれがなぜなのかを理解していた。走り続けているからではなかった。己を支配する、激しい感情が身体を熱くさせていた。それを抑えることはできない。抑えるつもりもなかった。

 意識が遠退いていく。己が己ではなくなっていく。

 我を忘れる前、猪は最後に咆哮した。人間に対する、憎しみの咆哮だった。その叫びは、この深く暗い森に響き渡る。

 次の瞬間、もはやその姿は、強く気高いナゴの守ではなくなった。

 猪神ナゴの守ではない、憎しみと恨みに生きる、祟りそのものとなっていた。 

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