送りからの帰還

 鋼の送りを終え、米を積んで帰ってきた牛飼い達がようやく踏鞴場に到着した頃、おトキや踏鞴踏みの女達は、その晩からの作業に備え、十分な休息をとっていた。彼女らが休む小屋の外は、運ばれてきた米を集積するために動き回る人々で騒がしい。その喧騒から、彼女らは牛飼い達が帰って来たことを理解した。

 太陽も傾き、その光はうっすらと橙色を帯び始めている。眠気を誘うような柔らかな日差しが、木目の目立つ床を所々照らすその薄暗い小屋の中で、トキは騒がしい外の様子を気にも留めず、横になっていた。

「おトキ。」

 そんな中、外からの喧騒に交じり、彼女の名を呼ぶ声が聞こえてきた。トキは上体を起こし、声のする方を振り返る。そこには女が一人、戸口から顔を覗かせていた。覗きこむようにして戸口から顔を出すその女が、トキに向かって言う。

「おトキ、牛飼いのお頭があんたを呼んでるよ。」

「お頭が? …なんだろうね。」

「さぁねぇ…。なんだか難しい顔して外で待ってるよ。」

 女はそう言うと、顔を引っ込めてどこかへ行ってしまった。女のその言葉に、かすかに訝しげな表情を浮かべながらも、おトキはおもむろに立ち上がる。そして草鞋を履き、戸口をくぐり抜けた。

 家屋から出るや否や、お頭と目が合った。お頭は彼女の目をじっと見据え、もう一人の牛飼いの者と共にその場に立ち尽くしていた。お頭の、必死に詫びるような目と、その傍らで沈黙し、どこか悲しげにこちらを見つめるもう一人の牛飼いの様子に、トキは胸騒ぎを覚えずにはいられなかった。動揺の中、彼らの面持ちから何かを察したのか、おトキは一呼吸おいたのち、その二人に歩み寄った。

 束の間の沈黙を挟み、お頭が静かな口調で、申し訳なさそうに口を開いた。
「…トキ、すまねぇ……甲六が…。」

 それ以上、お頭は続けなかった。その言葉が全てだった。あまりにも突然のことではあったが、おトキは静かにその言葉の意味するところを受け入れたようだった。少なくとも、周りからはそのように見えた。

「…山犬かい?」

トキの問いに、お頭と牛飼いが一瞬顔を見合わせた後、お頭が口を開いた。

「…襲われた時、崖から…。」

「…そうかい。」

彼女はぽつりと呟くと、それきり黙りこくってしまった。

 荷送りに駆り出される牛飼いの中には、その道中で命を落とす者も少なくない。石火矢衆からなる護衛を伴っているため、野伏せりや野武士に襲われることは少なかったが、それでも山犬や地侍達によってそれなりの被害を受けることは稀ではなかった。

 トキは決して顔を俯けることなく、行き交う人々の流れを静かに眺めてはいたが、その心の内の揺れは、お頭らにも容易に見てとれた。そんな彼女の様子に、お頭らは口を閉ざした。トキとお頭、そしてその傍らに立つもう一人の牛飼いの三人の間に、沈黙が流れる。日が西に傾き始め、人々が米の搬入や踏鞴の準備のためにせわしく行き交う喧騒の中、彼女らはまるでそこだけが周囲から切り離された別世界のように、沈黙を続けていた。

「…そろそろ、行かないとね…。」

 しばらく経ち、おトキが閉じていた口を開いた。そして声の調子を上げ、普段と変わらない口調で、続けて言いきった。

「呆けてる暇はないのさ。今日は忙しいんだからね…。」

彼女はそう言うと、お頭らに背を向け、暗い建屋の中へと戻っていった。お頭ともう一人の男は、そんなおトキの背中を、黙って見届けるしかなかった。

 牛飼いの二人はその後、米の集積を終えた牛をつなぐために、牛舎に引き返した。そして、牛飼い達が手際よく牛をつなぎ、飼い葉を与え、その日の役目を終えようとしていた頃だった。いきなり一人の牛飼いが、息急き切ってお頭のもとへと駆け寄ってきた。その男はお頭の目の前で立ち止まると、膝に手をつき、ぜいぜいと息も絶え絶え口を開く。

「お、お頭…」

 突然の出来事に驚いたお頭は、その牛飼いをまじまじと見つめる。すると次の瞬間、その牛飼いの者は思ってもいなかった言葉を口にした。

「お頭、甲六が……」

 お頭は、その者が次に発した言葉に己の耳を疑った。 

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