雷鳴
どこまで続くかも知れぬ深い森林。地には苔生した岩と図太い木の根。ぴたぴた、ぴとぴと、一定の間を空けて耳に響く雨雫の滴る音は、森中いたる所から聞こえてくる。しばらく降り続いているいささか強めの雨脚も、この森の中にいる限りはしのぐことができた。
ヤックルの背にあるアシタカは、あまたの大木からなり、威圧される程に鬱蒼と生い茂るこの森を、西と思しき方角へ向かっていた。
「…立派な森だ。」
そこここにある巨木を眺めながら、アシタカが呟く。これ程までに暗く、緑に埋め尽くされた雄大な森は、彼もこれまで目にしたことがなかった。どんな樹木も幹が太々と肥えており、太古の息吹を感じさせるような神々しさを身にそなえている。
そんな中、彼は一本の大木に行き着いた。その巨木は、それまで目の当たりにした木々とは比にならないまでに巨大だった。肥えた樹幹はその荒い表面が見えなくなるほど苔に覆われている。巨木が己に近づかせないのか、その周囲に木はなく、開けた空間が存在した。頭上を含め、その空間は深い緑に囲まれている。
アシタカは思わずヤックルの歩みをとめ、その背に跨ったまま巨木を見上げる。
「この森の主だろうか…。」
仰ぎ見る大木は、並の木ならば幹の太さであろう巨大な枝を四方へと伸ばし、天空を覆い隠していた。見上げたその視界に収まる、幾重にも頭上を覆う暗い緑の天上からは、きらりと輝く雨粒が次々滴り、現れたかと思えば消えていった。
獣の気配はなく、辺りはしんと静まりかえっている。アシタカの蓑は雨水に濡れ、その裾からは雫がぽたぽたと流れ落ちていく。壮大な光景に少しの間見入っていた彼は、その巨木のもとを離れる際、今一度この深い緑に包まれた不思議な空間を眺め渡した。
「…不思議な森だ。」
彼がそう呟き、進むべき方角へ向き直った時だった。どこからか、雷鳴のような、どんと響く音が聞こえてきた。ヤックルが驚いて顔を上げ、耳を動かす。
「雷だろうか。」
アシタカは構わず足で合図をし、ヤックルはゆっくりと歩き始める。
遠雷のようなその音は、彼が森を行く間、しばらく立て続けに鳴っていた。それは雷鳴のようでもあるが、雷がこれ程までに連続して鳴ることはない。不審に感じたアシタカは、何の音だろうかというように、辺りを見回す。
だが、不思議なことに、今度は突然音が途切れた。
遠雷のような音は消え去り、再び森に沈黙が訪れる。急な静けさに彼は耳を澄ましたが、もう二度とその音が聞こえることはなかった。
「…不思議な森だ…。」
もう一度、アシタカはそう呟くのだった。
彼は西へと進み続ける。この時アシタカはまだ、この地こそが、長い旅路で彼が目指してきた目的の地であるということに、気付いていないのだった…。