静寂の森

 その日、カヤはヒエ畑の様子を見に、村の娘達と共に森の中へ入っていた。

 深緑の森の中を貫く小道は、すでに日が昇っているのにも関わらず薄暗い。そしてこの日、不自然な程の静けさが森中を覆っていることに、乙女らは気づいた。普段から毎日のように通る場所ではあったが、その日は三人一緒でなければいささかの不気味さまでも感じられるようだった。

 カヤを先頭に歩いていた三人は、何時にも増して得体の知れない不安感に襲われていたが、それがなぜなのかは分からない。不審に感じたカヤは、一度立ち止まり、周りの木々を見回した。彼女に続く二人も不気味そうに立ち止まる。森は一見変わりのないように思われたが、獣達の気配がなかった。今時分なら美しい鳴き声を聴かせてくれているはずの小鳥達も見当たらない。耳を澄ますが、何も聴きとることができなかった。

「…鳥達の声が聞こえない…。」

そう呟いたカヤは、再び前を向き、歩き始める。もう二人の娘も同じように木々を見上げた。森は沈黙している。二人は不安気な表情を浮かべ、周囲を見回しながら、カヤの後を追った。

 しばらく歩き続けると、それまで道を包み込んでいた樹木が一斉に開け、太陽の光に満ちた明るい空間が目に入る。遠い昔、ヒエ畑開墾の際作られたという石垣が目前に現れた。三人の背よりかは幾分高さのあるその石垣は、いたるところ苔に覆われている。広大なヒエ畑はその先にあった。

 乙女らはその脇を歩き、そのままヒエ畑の中を突き抜ける、左右を高い石垣に挟まれた道を進んだ。畑全体を見渡すことのできる高台を目指し、歩き続ける。

「カヤ、この静けさ、なんだろう。」

「…分からない。」

 風の音も、獣達の鳴き声もなかった。森全体が、何かをじっと待ち構えているように、カヤには思えた。

 高台には村の見張り台がある。そこでは年長の者が常に森を見張っていた。その日も、村の若者達から「じいじ」と親しまれている老人が、いつものように森に目を向けていた。高台に辿り着いた乙女らは、その見張り台の元へ駆け寄る。

「じいじに森のこと聞いてくる。ここで待ってて。」

カヤはそう言い、一人で櫓の梯子を登った。三本の丸太を組み合わせた見張り台は、すでに虫食いが酷く、梯子も手を掛け、足を掛ける度にひどく軋む。上に行くと、森の様子を窺うじいじの後ろ姿があった。よじ登りながら、カヤが口を開く。

「じいじ、森が…」

「静かに。…分かっておる。」

カヤはじいじの隣に立つ。じいじは森のある一点に目を凝らしているように見えた。

「森がおかしい…。獣の気配がない。風も止まっておる…。」

カヤもまた、じいじの見つめる森を見渡すが、動きのあるものは何一つ目に入らない。静かにじいじの言葉を待った。沈黙が続く。

しばしの間をあけ、ようやくじいじが口を開いた。

「…カヤ、急ぎ村の皆に、里に戻り動かぬよう伝えるのだ。よいな。」

カヤは黙って頷いた。そして梯子の元へ戻り、素早く降りる。下では、娘二人がカヤの言葉を待っていた。

「カヤ、じいじはなんて…?」

「村に戻れって。森がおかしいから、皆に村にいるよう伝えろと。」

二人の娘は気味悪そうに辺りを見回す。古い石垣の向こうに広がる暗い森は、乙女らの不安感を煽った。

「…急ごう。」

カヤは二人に言い、三人は来た道を戻り始める。

 一面のヒエ畑が風に穂を揺らすことはなく、煌めく陽の光が獣達の姿を照らすこともない。気づけば、この地を囲む彼方の山々から、白い雲の浮かぶ青い空まで、この世界の全ての時が止まっているように感じられた。まるで、この静寂の場に、人間だけが取り残されたようだ。

 三人は急ぎ村へと向かうのだった。

Since 11 May 2010
Powered by Webnode
無料でホームページを作成しよう! このサイトはWebnodeで作成されました。 あなたも無料で自分で作成してみませんか? さあ、はじめよう