ジコ坊のこと

2020年08月08日

いや~、梅雨も明けて一気に暑くなってきましたね!

雨ばかり降っていた頃は気分も晴れなかったですが、さすがにこう暑い日が続くとそれはそれで疲労が溜まりますね…。

ちょうどいい日ってないんですかね~。(わがまま)


まぁ、それはいいとして、最近、もののけ熱がちょっとぶり返してきているので、今回はかなり久しぶりにミニ考察みたいなものを。タイトルにあるジコ坊のことについて少し。


先月更新したその後小説の第三章にジコ坊が登場しましたが、ジコ坊については個人的に好きなキャラでもあります。

ハマって最初のころは「なんだか憎めないキャラだなぁ」という程度で、なんとも思っていませんでした。

でも、それがその後小説を書くようになって各キャラについていろいろと考えていた頃から少し印象が変わってきて、「あれ、もしかしてジコ坊って…」と。

自分は語彙もなく、シャラさんのような繊細で美しい文章もうまく書けないのですが、それでもできるだけ何度も何度も繰り返し考えながら頭を捻って文章を書いているつもりです。(だから書くのが遅い)

その中で、そのキャラの人格や思考回路とかを考えるとき、当然本編でそのキャラの言動を何度も繰り返して確認するのですが、ジコ坊に関してはよく見れば見るほど、「この人、意外と人情のある人なのでは?」と思えてくるんです。

最初に見た頃と今とで最も印象が変わっていった登場人物だと思います。

もしかしたら前にも書いたかもしれませんが(記憶が、ね…。)、劇中ではアシタカに対して恩を感じてそれを返したり、アシタカの必死の訴えに応えたりしていると思います。

もちろん見方にもよるかもしれませんが、個人的にはそういう義理というか、情に意外にも厚い人物なのではないかと。


例を挙げると、まずは初登場時。

地侍の小競り合いに巻き込まれていたジコ坊は、偶然居合わせたアシタカの行動によって助かります。

これ、別にアシタカとしてはジコ坊を助けたつもりではないと思うのですが、それでもジコ坊はそれに恩を感じて、町の市で米売りと面倒なことになっていたアシタカを手助けしました。

それだけでなく、ここでおもしろいのは、町でアシタカを見つけたときに、『いたいた』と言っていたこと。

この言葉、なんとなくニュアンスとしてはアシタカを「探していた」ような感じがします。

要するに、(積極的にアシタカを捜していたかどうかはともかく)次に会ったら恩を返そう、礼を言おう、という意識があったということです。

で、この後、何も言わずに足早に去るアシタカをわざわざ追って、礼を言ったわけです。

ついでに、砂金を見てアシタカを追ってきた賊について、おそらく俗世での砂金の価値を理解していないアシタカに砂金のことを忠告し、面倒を避けるために共に逃げました。


二つ目。

これがジコ坊のことを考えるうえで最も重要な行動です。

ジコ坊がアシタカと夕飯を共にする場面。

ここで、ジコ坊はアシタカから、アシタカが故郷を出て旅に出た理由を聞きます。

(ちなみにここでも、人里に出て二人殺めたことを後悔していると言ったアシタカに対して、ジコ坊は「いや、おかげで拙僧は助かった」と言って聞かせています。…もちろんこれは、アシタカを慰めているということではなく、単に甘ちゃんの彼に対して世の中の道理を語っているだけ…という受け止め方もできますが。)

アシタカも、ジコ坊の言動から彼を信用し、アシタカ自身の旅の理由を話したうえ、さらにはあの礫(つぶて)について尋ねます。

礫について尋ねられたジコ坊は、シシ神の森について教えます。(正確には、シシ神の森の存在と、大まかに西の山奥にあるということ)

ここですよ! ここ!

何が重要なのかって、ジコ坊はここでアシタカにシシ神の森のこと教えちゃうわけですよ!

いやだって普通なら、ジコ坊は自分が関わっている企みを成功させるために、余計な面倒を避けたいはずなんですよ。絶対に。

師匠連やら天朝やらが関わり、人と金を任されてエボシとやり取りする重役を担っている彼からしてみれば、計画成功のために訳の分からん人間が割って入ってくることは避けたいはずです。

ましてや、その人間が、明らかにジコ坊が関与している石火矢衆の石火矢から放たれた礫を手にしているわけです。

そしてその男はその礫によって祟り神となった猪に村を襲われた挙句、呪いを受け、さらに村から追放されてしまったんです。

そんな人間がシシ神の森へ行って、そこで行われていることを目にして何を思うか…(あるいはどう行動するか…)。そのくらいのことは誰だって考えるはずです。

ジコ坊だって、地侍との戦闘でアシタカの強さを目にしているわけですから、アシタカが首を突っ込んできたら厄介だということは分かると思います。


それでも、ジコ坊は教えたわけですよね。シシ神の森を。

しかも、翌朝「やはり行くか」と言ったということは、シシ神の森のことを言えばアシタカがそこに向かうことを分かっていたということですよ!

礫を見せられた時に、言おうと思えば「知らない」とも言えたわけですし、何なら嘘をついて余計な人間を遠ざけることもできたのに…。それをしなかった…。


これだって、やっぱりジコ坊がアシタカに命を助けられたという恩を感じていたから、そのお返しにということだと思います。(すでに町で面倒になりそうなところを助けたうえ、礼も言ったのに、まだそれだけでは済まさない!)

でなければ、シシ神の森の存在と場所を教える理由がありませんよね。

だからこそ、ジコ坊の義理を感じるわけです。

(ついでに、遅れて踏鞴場にやってきたジコ坊はエボシにアシタカが来たかどうか尋ねましたが、あれもやっぱり多少気にかけていた部分があったということなのかも。)



次!

ジコ坊とその配下の者達との会話から。

ジコ坊が森に潜んで猪達を見ていた場面。乙事主に感づかれて配下の者とともに森から逃げるわけですが、意外とジコ坊は、川を岩伝いに下るのに慣れず遅れている配下の者を置き去りにはせず、振り返って「早くしろ! 跳べ! 跳べ!」と声をかけるという。

それと、踏鞴場への帰路にあるエボシ一行が襲撃してきた地侍に応戦している最中、ジコ坊はエボシと合流する直前に石火矢衆に会うと、「おう、苦労を掛けるな。」と、ちゃんと気遣いの言葉。

ちょっとしたことですけど、意外にそういうところはしっかりしていますよね。



そして、最後。

アシタカとサン、ジコ坊とその部下でシシ神の首を巡って争う場面。

最後にアシタカとサンでシシ神の首を掲げてデイダラボッチに返すじゃないですか。

毎回思うんですけど、あれって、ジコ坊もやろうと思えば首を返さずにあの岩の上で日の出を待つことも出来ましたよね? (日の出までもうほんの少しでしたし。)

しかも、ですよ。

ジコ坊ってアシタカと一対一で互角に戦えるくらい強いわけでじゃないですか。

それならなおさら時間稼ぎもできましたよね。逆に撃退できた可能性だって無いわけじゃないですし。

でも、それでもあの岩の上で、「人の手で返したい」と例の曇りなき眼(笑)で言ったアシタカに応えて「どうなっても知らんぞ」と言いながらも首桶を自らの手で開けたわけです。

(「人の手で返したい」という言葉は、デイダラボッチ自らの手で人から首を取り戻させるのではなく、あくまで人の方から返したいということなので、この時すでに、もはやデイダラボッチから逃れられないところまで追いつめられていた=日の出までもたないとアシタカは考えていたのだと思いますが、ジコ坊もそう思っていたかはよく分かりません…。仮にジコ坊も同じように日の出までもたないと覚悟していたのであれば、また違った解釈もできますが…。ただ、それでもやはり、アシタカの思いを受けて首桶をジコ坊自らの手で開けたということは重要だと思います。 )

あの場面、直前にサンは「アシタカ、人間に話したって無駄だ。」と言いましたが、その時のジコ坊の対応はおもしろいくらいにアシタカに対するものと真逆のものでした。



以上、いくつか例を挙げました。

やはり思うのは、本来のジコ坊って、ちゃんと純粋に誠意をもって接すれば、意外とそれなりに応えてくれるような人物なのかもしれないということ。

もしかしたら、まるで口から出任せを言うように適当に世の不条理や人の業を語るのは、周りに師匠連やら天朝やらエボシやら一癖も二癖もある欲深い人物ばかりいて、その中で歯車的な役割でその業に関わらざるを得ない自分や世の中に嫌気や諦めがあったからなのかもしれませんね…。(あるいはさんざん組織の汚い部分を目にしてきたことによる人の世への諦めとか。)だから、軽い口調でまるで皮肉のようにああいったセリフが出てくるようになってしまったのかも…。

業にまみれた不純な組織の中で、本来の自らを排除して考えるのを止め、歯車の一員としてその業に加担してきたからこそ、「やんごとなき方々や師匠連の考えはわしには分からん。分からんほうがいい。」という言葉が出てきたのかもしれません。

考えすぎかもしれないですけど。

でも、もし上に書いたことが原因で、ジコ坊が今のような一見世の中に冷めた人間になってしまったのだとしたら、今までに出会ったことのない汚れていない人物=アシタカに、他の人にはあまり見せない情を事あるごとに見せる理由がわかるような気もします。

ある種の、純粋さに対する憧れというか、自分が忘れたものへの懐かしさというか…。そういうものを大事にしたいというジコ坊の中に残る部分が、実は出てきていたのかも…。


…って、ジコ坊でこんなに語ってどうすんだ…笑


…ま、まぁ、一つ確かなのは、ジコ坊には、アシタカのような馬鹿正直(失礼)な人物についつい応えてしまう一面があるということ。意識的にしろ無意識にしろ。

だから本人も言っていたのかなと。最後に。

「いやぁ~、参った参った。馬鹿には勝てん。」と。



ということで、久々に考察でした。

その後小説を書いている中で、他にもけっこう考えこんでしまうことが出てくるので、今後はそういったものも忘れないうちに書いていこうと思います。


それでは、また。




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