「新 美の巨人たち」
先日、「新 美の巨人たち」という番組で、「かぐや姫の物語」が特集されていました。
お盆休みで実家に帰ったら、親が録画してくれていて(自分が「かぐや姫の物語」を好きなことを知っているので)、昨日観てみました。
(「かぐや姫の物語」が個人的にどれほど大切な作品なのかというのは、これまで何度かブログにも書いてきました。詳細はこちら)
かぐや姫には、「高畑勲、『かぐや姫の物語』をつくる。」というメイキング(ドキュメンタリー)があり、BD・DVDで販売されていますが(もちろん持っています!)、今回の「新美の巨人たち」という番組では、番組タイトルからしてお分かりの通り、基本的に美術的な視点から作品を解説・紹介しています。
上述の「高畑勲、『かぐや姫の物語』をつくる。」 の場合は、まさに作品の制作過程を追ったもので、技術的・スケジュール的な問題や困難さ、高畑監督の考えや関係する人々の苦労など様々な面から作品を追っていました。
一方の「新美の巨人たち」では、高畑監督の、アニメにおける「表現方法」に対する考え方を中心に置いて作品を構成しています。
特に印象に残ったエピソードとして、背景画に対する考え方の話があります。
当初はアニメの背景画をとてもリアル・詳細に描くことでリアリティーを追及していた監督が、次第に、リアルに描き込まれた背景画とシンプルな構成の動画のミスマッチに違和感を抱くようになった、と。
アニメの歴史には詳しくないので間違った考えかもしれませんが、確かに、高畑監督がリアリティーを求めた作品を作り始めた80年代以前の昔のアニメって、基本背景もシンプルなような気がします。(思い込みかもしれませんが。)
それが、段々と詳細に描写するようになり、キャラクターなどの動画と合わせると違和感があると感じたそうです。
それに加え、アニメーターの方のデッサン(?)を描くときの勢いやそこからにじみ出る、感じるものというのを生かすために、あの「ホーホケキョとなりの山田くん」や「かぐや姫の物語」の表現方法になったようです。
背景画に関しての故高畑監督のコメントが印象深いです。
昨日観たので細かい言葉回しは間違っているかもしれませんが、「(今のアニメの背景画が)クソリアルになってしまった」というようなことを言っていたそうです。
「クソ」は確実に付いていたので、結構衝撃的なコメントでした。そこからして、アニメの表現方法に対してどれほどの想いを抱いていたのかが伝わってきます。
毎度自分勝手な印象ですが、たぶん写実的な背景が良いか悪いかではなく、実写ではない(できない)、アニメならでは(アニメだからこそ)の表現方法というのを、求めていたのかなぁと感じました。
ここ十数年のアニメの流れとしては、背景はパソコンで細かいところまで描写をしてリアルに綺麗に描く、というのが多いんだと思います。そして、その流れを作ったのは高畑監督やその世代の監督さん方だと思うのですが、その高畑監督自身が、70歳も超えた時点で、今の流れ、自らが創り出した流れとは正反対の「かぐや姫の物語」のような表現を追い求めたというのは、本当にすごいことだと思います。(周りの方たちは相当苦労したとは思いますが…。)
だって、ある意味、すでに作られた道を歩くというのは、安全なやり方だと思うんです。
それに対して、故高畑監督は紛れもなく先駆者ですよね!(偉そうなこと言ってますが…)
ハイジなんかもそうですよね。ファンタジーやSFものが全盛の時に、ただ日常を描くという…。
先駆者といっても、あまりリスクのない若い方がデビュー初期などにやるんであれば分からなくないのですが、もう70を超えた時点で、今の表現に満足せず新たな表現方法を求めるって…。
自分を含め(業界は違いますが)、若い人も負けていられないというのに…。
何度も書いていますが、結局商業的にはうまくいかなかったわけですが、個人的にはその事実に憤りを感じます。当然好き嫌いは人それぞれ違うので、仕方のないことなんでしょうけど。
確かに、これまでと同じ方法で似たようなストーリーばかり描けば、その作品はヒットするかもしれません。もちろんそれは悪いことではないですし、そこから生まれる感動もあります。その感動は嘘ではありませんし、誰にも否定できません。むしろ商業的にはそれがより良い結果を生み出し、観てる方も安心して観れるというのもあると思います。ただ、それではもはや「新作」を出すという必要が無いような気がします。その作品が伝えたい何かを、いつも同じお客さん層に、同じような考えの下で同じように届けていては、より多くの人に感動を与えたり、心を救ったり、あるいはこれまでとは違う新しい視点や考え方を提供するということは難しいと思います。(もちろん、ただ気軽に観る娯楽としての作品であれば話は別ですが。)
最後の最後まで、いろいろな視点、表現方法の作品を送り出してきた高畑監督は、本当に本物の表現者だと思います。だからこそ個人的には、実写・アニメを問わずほとんど変わらない同じような作品を繰り返す人の作った作品よりもヒットして欲しかったんです…。
悔しい…。
その点、ディズニー・ピクサーはバランス良いですよね。
近年は過去の作品の続編や王道のストーリーの作品も作りながらも、今までにない設定の「インサイドヘッド」や、珍しく現在社会を色濃く反映した設定の「ズートピア」など、新しい視点やその時々の社会状況を全面に押し出した作品など、幅広く制作しています。
その上で商業的にも表現的にも一歩先をいっているような気がします。
特に「インサイドヘッド」に関しては、何かで映画館に行った時に予告を観て、その設定に「なんだこれ!」と良い意味で驚きました。また、最近の「アラジン」や「ライオンキング」の実写版も、ストーリーは全く同じとはいえ、これまでのやり方よりも一歩踏み出した新しい表現だなと感じます。「アラジン」に関しては、実写の人間をCGでよりファンタジー風に見せるという、結構難しい表現に挑戦している気がします。これまでのCGは、多少人間を加工することはあっても、基本的には全く人間とは関係のないもの、例えば壮大な風景やSFでの宇宙船、モンスターや爆発シーンなどが多かったと思います。それが今回は、ウィルスミスをああいう風にしてしまうわけですから…笑
話がそれてしまいましたが…。
とにかく、今回の「新美の巨人たち」を観て、またいろいろと考えてしまいました。
「かぐや姫の物語」自体は、初めはあまり表現がどうのこうの考えすに、純粋な気持ちで観て欲しいです。伝えたいものが超どストレートに直球を投げているので。
まぁ、それはどの作品も同じでしょうけど。
その後で、また観るときに今回の「新美の巨人たち」を観ていると、また別の楽しみ方ができると思います。
内容的にも、「高畑勲、『かぐや姫の物語』をつくる。」とはそこまで被らないですし、美術的な視点としては「美の巨人たち」の方がより深く掘り下げています。(美術の男鹿さんもちょっと出演していて、この番組でしか聞けない当時の話などをしているので、おすすめです。)
再放送の予定があるのかわかりませんが、ジブリ好きな方であればぜひとも観て欲しい番組でした。
ディスクに写しておけばよかった…。
それでは、長くなってしまいましたが、今日はこれで…