今それを書く理由
前回の記事で書いたように、ここ最近は単発ものの短い話を書いています。
相変わらず書いては消して、書いては消しての繰り返しで、書きたいもの…というか伝えたい事(主張したいこと)があるのに、表現力不足(技術不足)でなかなか進みません。
ここ数年間くらい(あるいはもっと昔からとも言える?)の世の中の出来事を受けて、そのことについてもののけで書けるよな…と思っていたことが前からあって、それが今回pixivでいろんな人の作品を読んで創作意欲が湧いて、「よし、今こそ書いてみよう!」と思ったのですが、根本的にうまく文章を書けないから進まないというね…。
もちろん、文字にしても絵にしても音楽にしても彫刻にしても、表現力というか、技術があるだけでは何も伝えられなくて、そもそも何を言いたいのか伝えたい事を乗せていないと、完成したものがなんだかよくわからないものになってしまって、気づいたら観ている人に何も渡せなかった(印象に残らなかった)ということもあるような気がします。
ただいろんな技を盛り込んで「うまく」作ったところで、それを観た時は「うまいなぁ」と思わせることができても、そのあと何か残せるかといったら、それはまた違う話だと感じています。
表現力(技術)がある人が伝えたい想いを爆発させて創った作品って、観ているこちらにとても強烈な印象を残します。ただ、観る側としての個人的考えなのですが、技術が無い人(自分みたいな人)が作ったものでも、そこに気持ちや主張を爆発させて創れば、例え技術不足でも、観る側にはそれが伝わると思っています。
例えが可笑しいかもしれませんが、子供が純粋な気持ちで作ったもの(自然と自分の気持ちが乗っている)が、観ている側にその楽しさや嬉しさが伝わって思わず笑顔になってしまうのと同じなのかなと。
そして、何も「そうだよね!」という共感だけでなくて、「え、それは違うんじゃない?」、「いや、自分はこう思うな。」という反対の意見なども含めて相手がもってくれたら、それだって本望です。相手がどんな意見や想いを抱いたとしても、それは何かしら伝わったことの証ですし。
共感だけして欲しい人は違うのかもしれませんが…。
別に、何か作る理由…想いや伝えたい事、主張とか意見とかがないとその作品を作っちゃいけないと言っているわけではなくて、観ている人に作品を通して何かを渡したいなら…という意味です。(当然個人の意見です。)
自分は、特に伝えたいことを乗せるわけではなく、頭に浮かんだストーリーを書きたいから書いただけの作品を、勝手に「ひとり言の作品」と呼んでます。
ここのサイトに載せているもので言ったら、追補小説と、短編小説三つのうちの二つです。
決してそれらを否定的に捉えているわけではなく、自分の楽しみとして、頭の中にあるものを形にしたくて書いたのだから、あまり観ている人のことは考えていません。それだけのことです。
でも、その後小説や、今書いているものはそうではなくて、「言いたい事」があって書いているので、それが伝わるように書かないと、自分としては書いている意味がないんです…。
だけど、それをうまく表現しようとすると、書くのが進まないったらない…!!
まったくね…。
今書いているもので言いたい事というのが、その後小説とはまた別のテーマになるので、その後の話とは分けて書くことにしました。
その後小説にそのテーマを加えてしまうと、ちょっと話がブレてしまうし、また文量増えて終わらないしね!
そういえば、その後小説って、書き始めた2010年頃は全然公開する気が無くって、ただたんに宮崎駿監督の「生きろ。」への個人的答えとして頭に浮かんでいたものを書き溜めていただけなんです。
でも、それが「サイトに載せるものとして書く」という気になったきっかけが、東日本大震災でした。
読んた方に伝わったか分かりませんが、もののけ本編のその後…踏鞴場もシシ神の森も、アシタカもサンも、踏鞴場の人々も森の生き物達も…が、その時あるいはそれからの被災地や日本の姿…ようするに震災のその後と重なって見えてしまって、だからこそそこで、ひとり言の作品ではなく、読んでいる方へ何か伝えるための「会話する作品」として書く意味があるんじゃないかと、思ったんです。
あの時、自分は学生で相模原で一人暮らしをしていました。同じ学生の中にはボランティアで被災地へいった子もいましたが、自分は計画停電への協力や募金くらいしかしませんでした…。
そのあとの各地での地震や台風での災害もそうですが、皆さん、何か起きるたびに、それぞれにいろいろと想うところがあると思います。
自分は、あの震災の直後、あることに少し引っかかっていました。
それは、「日本は必ず復興する」や、「頑張ろう、日本」という、まるでスローガンのようにいろんなところで連日言われていた言葉です。
大したことをしてない学生がこういうのはおかしいでしょうが、個人的にはあの時、「必ず復興する? 復興するか否かは(自分を含め)一人一人がどれだけ頑張るかにかかってるわけでしょ? 問題は、どう復興していくかじゃないの?」とか、「頑張ろう日本? 頑張るのは日本じゃなくて、我々一人一人でしょ?」と、思ったんです。…今思うと、なんだか捻くれた考えですよね…。
あれらの言葉で勇気をもらったり、励みになってより「頑張る」ことができた方々もいらっしゃると思います。
でも、自分にはあの言葉を言うことはできませんでした…。
だって、あれらの言葉を言っている人たちは、あの時、そして今も、震災のその後のために頑張っていないと、おかしいんです。
もし何も頑張っていないのに、あれらの言葉を言っていたのだとしたら、それは人任せの無責任だと、当時は思ったんです。
だから、当時の自分は何も大したことをしていなかったから、ああいう言葉を使う資格はないと自分で感じていました。
自分は、もともと高校時代から地元で地域のための仕事をしたいと思っていました。だから、大学もそういう学科・コースを取っていました。一時期は何となくですが、地方公務員も考えていました。
でも、その震災を機に、より一層将来は地方のために、地域経済のために働きたいと思いました。
そして、その上で就職先を考えた結果、就いたのが今の仕事です。
今の仕事は、地域経済のためというのがきっかけですが、今ではその仕事自体が好きになったので、独立までしてここまでやってこれたのだと思います。そういう意味では、本当に運が良かったと感じています。
話を戻しますと、結局は被災地とは関係の無い地元で働いていますが、それでも地方の活性化が日本のためにもなると思っていて、だから、今ならああいった言葉も使ってもいいのかなと思っています。
その後小説は、1997年に宮崎駿監督が「生きろ。」と伝えてきたことに対して、震災を受けたうえで生きていく自分なりの返答であり、想いです。
生きろ…、じゃあ、実際「生きろ」で生きたあと、それを「生きていく」にするにはどうしていけばいいの? というのが根幹にあります。
だから、地味なんです。書いているものが。
現実に震災後もそうだと思っているのですが、復興という目的地までは、地道な作業の日々の連続なんだろうな、と。
だから、そこは地味でも書かないと、あの言葉みたいに、まるで人任せのような感じになってしまうな、と。
復興後を語りたくなるのは、分かりますし、それは気が晴れて楽しい気分になると思います。
それを否定するつもりはさらさらありません。
でも、そこまでの道のりこそ、それらの感情を現実のものにするためには重要なのかなと感じています。
その後小説は、いろんな気持ちを思いっきり乗せて書いているつもりです。
技術はまだまだでしょうがね!!
本当は、宮崎駿監督に読んで欲しいです。
厳しい人だから、いろいろと駄目だしくらうんだろうけど、そんなの知ったこっちゃないです。
これが、小さい頃に生きろと言われた自分の、震災も受けたうえでの、成長してからの答えなので。
話がおかしくなっていますが、今書いているものも、テーマというか、気持ちを乗せて書いています。
でも、技術がないからなかなか納得する文章を書けない…。
できれば年内に載せたいのですが、どうなることやら。
長くなってしまいましたが、完成してここに載せたら、ぜひ読んでみてください。
技術もないのに二次創作で世の中のことについて書くなんて、痛々しいのかもしれませんが、どんな反応であれ、読んだ方の中になにか残ればしてやったりですからね!
ということで、以上でーす!