第五章のこと

2023年08月19日

前々から言っていましたが、その後小説第五章のことについて、自分の考えなど説明してみたいと思います。


とりあえず、今回の五章は四章の長くなり過ぎた分と本来の五章の一部分を合わせたものとなっていて、それもあって始まりが中途半端なところからになっています。


アシタカと牛飼いのお頭で町に下り、大工や土工(治水工)の親方を探すというエピソードなのですが、実際のところ室町前期当時の請負システムのようなものはよく分からなかったので、ほぼこんな感じかなぁ、という感じで、支払いや仕事の受注の方法、そもそもそういう民間の大工や土工というのがあったのかというのも含めて全て推測です。

それら業界の金額だって全然分からなかったので(もちろん、上記全ての点についてある程度は調べていますが、それでも分からないことは分からない。書くのに時間がかかる理由の大きな一つでもあります)、金の価格や米一俵の価格などを参考にした上で、おおよそこのくらいかなという大雑把な計算です。

実は、そもそも当時の庶民の家というものについても確たる情報がなくて、おそらく掘っ立て柱を用いた小屋のような家だったというくらいで(一部の金持ちの農家は別)、その場合、村の人間総出で建築にとりかかれば、大工なんてのはいらない可能性もあるわけです。

もしかしたら当時の大工というのは、寺社仏閣、貴族や名のある武家の家を建てるのに必要な存在で、大した造りではない掘っ立て小屋であれば、大工にお金を払ってお願いするようなものではなかったのかもしれません。(つまり簡易な家なら踏鞴場の人達だけで再建できた可能性が高い)

ただ、このその後小説は今までも何度も書いていますが、東日本大震災後に復興を目指していた現実社会に大きく影響されていて、そこに対してデイダラボッチによる破壊後の踏鞴場の復興過程を具体的に描く意義を感じていたので、「復興には資金が必要」という大きな側面を描きたかったことから、今回は大工や土工という人物に登場してもらい、そこに踏鞴場の人達がどのように資金を用意するのか、という一連のエピソードを書いたんです。

なので、室町当時の実際の建築事情はどうだったのかという問題は、正直ここではあまり重要ではありません。(歴史小説ではありませんので)

ちなみに破壊前の踏鞴場は、エボシの御殿や大踏鞴を覆う建物などを見ても分かる通り、間違いなく大工によるしっかりとした造りの大規模建造物が多いので、エボシの仕事を引き受けた大工がいたことはほぼ確実だと思われます。


次。

サンと、兄弟達が山で遭遇した怪しい人間達ですが、こちらについては個人的に色々設定があるのですが、そちらは最終章にも関係してくるのであまり触れずに、最終章掲載後に裏設定などブログのネタとして書きたいと思っています。

本来サンと兄弟達が登場するこのエピソードは存在しなかったのですが、サンとアシタカが喧嘩する前に一度ここで書いておける情報(今後に繋がる)がいくつかあるなと思って、急遽書き足した部分であります。

なので、ちょっと唐突感があるという…。


次にジコ坊についてです。

ジコ坊に関して、自分なりの捉え方というのは以前にブログ(リンク貼るの面倒なので、探して下さい…)で書いたのですが、個人的には、根元から欲深い師匠連に依存している人間には思えないんですね。

理由については第五章の中に直接書いてますが(小説としてはありえない…笑)、大まかにいえばジコ坊というのは唐傘連の現場指揮官である一方、師匠連の下にいるという立場で、いわば板挟みのような立場だからこそ、組織というものの中で責任ある者として立ち回る他なかったのではないかとも思えるんです。

今で言う、一企業の中での、難しい立場というやつですね。社会や取引先、あるいは上司や部下、はたまた家族など…への責任(金銭的、社会的、道徳的な責任)の中で、どのように行動するかという話。

とても難しい問題ですよね。その中でどういう判断をし、何に従ったかという点だけをみてその人の良し悪しを判断するというのもなかなか酷な話なような気もします。

一会社員が、会社からの指示に従わなければ自分に害が及ぶ可能性があるという場面に直面した時、その人が会社の方針に従って社会に対して不利益となることをしてしまったとして、(…あれ、最近現実社会で聞いたような気が…確か生殺与奪の権が何たらとか…)じゃあその人が悪人なのかというと、それはまた別の話じゃないだろうかという話です。(まぁ、一般社会からしてみれば、市民に不利益とならない行動を取って欲しかっただろうことは間違いないでしょうが…)

なんとなく、思うんです。

ジコ坊がアシタカに対し、命を救われた恩をわざわざ返したのも、シシ神の森の場所(方角)を教えたのも、「人の手で返したい」という言葉に応えたのも、「馬鹿には勝てん」という最後の台詞も、全てが、ジコ坊自身も気づいていないのかもしれないけど、心のどこかで、アシタカという真っすぐな人間には報われて欲しいという想いがあったからこその言動なのではないか、と。

だからこそ、ジコ坊を否定的には見れないんですよね。

以前はもののけの中で好きなキャラといえば、甲六やおキヨさんだったのですが、ここ数年はジコ坊が一番好きなキャラになっているかもしれません。

第五章のエピソードは、この個人的な意見をもとにして書かれていますので、ジコ坊に対する認識が異なる方には説得力の無い展開となってしまっているかもしれません。

その点はご容赦を。


最後に、アシタカとサンの口論の場面について。

これは、メイキングで宮崎監督がおっしゃっていたように、その後において避けられないものだと思われるので、のちの展開含めてここで書いておこうと思い、満を持して書きました…笑

二人の口論というのは、二次創作において何百番煎じか分からないほど定番なのですが、自分の場合は森と人間の関わりと、そこからくる共に生きるというテーマを思いっきり中心据えて口喧嘩させてみました。

先述の建築の話と同様ですが、現実社会を踏まえたものとして、何か少しでも実社会に実りある内容にできないか、その上でどう描くのか、というのがその後小説の主な目的なので、自分なりに頑張って、できるだけ逃げずに正面から向き合って書いたつもりです。(結果的にだらだらと長くなってしまいましたが)

何べんも言っていますが、ここの二次創作は、あくまで管理人である自分の独りよがりな意見が大いに反映されたものですので、異論は認めません! 笑

二人の会話の内容に納得できないという方も、はいはいと軽く流してもらえればと思います。

で、二人に口論させるのは、ある意味とても簡単だったのですが、そこからどう着地させるかが難しいんですよね…。

もちろん、このまま仲直りせずに話が終わるわけがないので、二人を何らかの形で和解させなければならないのですが、そこがね~。

当然、考えてはあるんですけど、ちょっと説得力に欠けるというか…。いや、やっぱ難しいんですよ!

あれだけ色々背負った二人ですから、あれをうまく収めるというのは至難のわざですし、そもそもあの二人が和解できるほど説得力を持った解決手段が…シシ神の森と踏鞴場サイドが共に生きるために合意に至れるような解決策があるのなら、実社会でも環境問題なんか起きてないんですから!

でもそこは逃げずに描くと最初に決めたので(かっこいいでしょ!? …なんてね~)、とにかく自分なりの終着点に着地はさせます!

それが第六章か、それとも延長して第七章になるのか…それは分かりませんが…。

こんな不安定で脆いその後小説を、どうか優しい目で見守ってやって下さい…。


と、こんな感じで、第五章について、執筆に当たってのもとになる個人的な意見を綴ってみました。

他の人のように美しい文章は書けませんが、自分なりに色々考えて精一杯書いていますので、今後も長いお付き合いをよろしくお願いしますね。

それでは、今回はここまでということで。

また来月~。







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