遅ればせながら

2025年01月25日

更新が遅くなってしまいました…。

新年のご挨拶にはだいぶ遅いので、今年は省略ということで。


年末年始休みは実家でゆっくり過ごすことができました、

前回書いたように自分の家にはテレビが無いので、「君たちはどう生きるか」の特別保存版Blu-rayを実家に持って帰って、再度じっくりと観てみました。

映画館で一度観たきりで、今回がまだ二度目です。

とはいえ、映画館で鑑賞した際には何も事前情報を入れずに観たのですが、今回は宮崎監督に密着したドキュメンタリーを観たり、ネット上で見た人の感想や考察を読んだり聞いたりしたうえで改めて鑑賞したという点で状況が異なります。


以前、宮崎監督に密着した例のNHKのドキュメンタリーが放映された際の個人的感想で、「自分の作品の受け取り方と宮崎監督が意図したものは違っていたのかなと感じた」という旨を書いたのですが、なんというか、意外というか不思議なのですが、もう一度改めて映画本編を観てみても、やっぱり作品から受け取った印象は一回目の鑑賞時と同じでした…。(映画館で鑑賞した当時の感想記事と、その後のNHKのドキュメンタリーを観た後の感想も読んで頂ければと思います)

今回買ったのは特別保存版なのですが、実は映画本編を再度観る前に、「宮﨑駿と青サギと… ~『君たちはどう生きるか』への道~」を先に観てから本編を観たんです。

そこで作品制作時の宮崎監督の心境というか状況を知ったうえで、改めて本編を観てみたというのに、なぜか映画本編から感じた印象は、自分が一度は違っていたのかなと思っていたはずの当初の印象と全く同じだったという、先に進んだと思ったらまたスタート地点に戻ってきてしまったみたいな心境になっていて、ちょっと戸惑っています。


「君たちはどう生きるか」は、観た人の数だけ受け止め方があると色々な場所で言われていますし、自分も本当にそう思います。多少違うくらいならまだしも、鈴木Pのラジオ「ジブリ汗まみれ」の中でとある関係者が語った感想が、自分の感想(というか受け止め方)とは真逆だったというくらいに、本当に皆が全く違った受け止め方をしているという点で、ジブリという範疇を超えてかなり異質な作品であるような気がします。

自分が初めて観た際の感想は上記の過去記事で書いたとおりです。

で、劇場での鑑賞後に、作品関係者の対談やインタビューの記事などを色々読んだりしていたのですが、その中で気になった話がありまして。

こちらの米津玄師さんへの「地球儀」に関するインタビュー記事の2ページ目に、宮崎監督との会話について少しだけ書かれているのですが、少し引用させていただきます。


以下引用

『映画を通して、その頃の自分や、今の時代を生きているその頃の自分と同じ世代の子供たちに対して、「この世に生きてていいんだよ」「この世は生きるに値する」ということを伝えたいという話もされていて』


これって、たぶん過去に宮崎監督へのインタビューや制作作品のメイキングを観たことのある人なら誰もが思うくらいに、いつも監督が言っていることだと思います。そして実際、記事の中で米津さんも同じことを言っています。だから本来なら、今まで通り聞いたそのままの意味として受け取っていいんだと思います。

でも、今回の作品を観たうえで、あくまで個人的なうがった見方をすると、今回の「この世に生きてていいんだよ」「この世は生きるに値する」という言葉が、ちょっと今までとは違って聞こえてしまって仕方がないんですよね…。

どういうことかと言いますと…。

自分の個人的な受け止め方からすると、今まで監督は空想の物語を通して「この世に生きてていいんだよ」「この世は生きるに値する」と伝えてきたんだと思うんです。そしてその意味は文字通り、「死」というものを念頭に置いた発言なような気がします。もののけのキャッチコピーがまさにそれで、当時の血なまぐさい事件や災害、増加する自殺率等が背景にあったというのは、もののけのメイキングからしてもそんなに間違ってはいないと思います。

つまり、以前の発言の「この世に生きる」とは、あくまで物理的な命のことを言っているような気がします。


でも、今回は「この世」の定義が少し異なっている気がしています。

もしかしたら、「君たちはどう生きるか」においては、監督の言う「この世」にはもはや「空想の世界」は含まれていないのではないかと…。

ようするに、今までは物理的な意味であった「この世」 が、今回の作品については、「リアル社会」という意味合いで言っているのではないか、ということです。上手く説明出来ないのですが…。

ただ物理的に生きていればいいというのではなく、そこからさらに進んで、空想の世界ではなく現実世界に希望を見出してほしいという意味です。

リアル社会でつらいことや苦しいことがあって、現実世界に嫌気がさしているかもしれない若い世代や、あるいはそれを感じ取っているかもしれない子供達に対して、もしかしたら監督は「現実世界に生きてていいんだよ」「現実世界は生きるに値する」と言いたいのかな、と個人的に感じたんです。

でもそうなると、宮崎監督あるいはジブリがやってきた「空想の物語」を通して「この世に生きてていいんだよ」「この世は生きるに値する」と伝えてきたことは、ちょっと言ってることとやってることが矛盾してしまいますよね。

だからこそ、映画作中での向こうの世界はジブリ(=フィクション世界)そのもので、かつ、そこにいる人々は宮崎監督と共に作品を作ってきた方たちであったにもかかわらず、最後に眞人は向こうの世界に留まることを拒否して、こちらの世界に戻ってきたのではないかと。(初見時の感想の繰り返しになっていますが…)

自分が「君たちはどう生きるか」から宮崎監督の複雑な心境というか、過去作品へのある種の葛藤を感じたのは、監督の「この世に生きる」の定義が少し変わったせいなのかもしれません。(もちろん個人的な感想ですので、この受け止め方が正しいと主張しているわけではありません)


話は少し変わりますが、そういう意味では「君たちはどう生きるか」は間違いなく観ている人のことを考えた作品(観客に何かを伝えよう、渡そうとしている作品)であって、ネットの一部で言われていたような「宮崎監督の自伝的作品」ではないと思います。

「自分のこと語られてもね」なんて言って否定的に言っている人もけっこうネット上にいましたが、かなり見当違いだと思います。

むしろ、監督の個人的な作品だったのかなと自分が感じたのは、前作の「風立ちぬ」です。

当然その作品が好きな人もいますので、あまり特定の作品に対して否定的なことは言いたくないですし、これまであまり言わないようにしていたのですが、実は個人的には、「風立ちぬ」を観た時、少しがっかりしてしまったんです…。

なんというか、監督の憧れというか、こう生きたかったのかなというのを感じてしまって(いや、もちろん実際のところは分かりませんよ?)、「風立ちぬ」という作品から何かを受け取った気がしなかったんです…。

だから引退時は、「風立ちぬで引退か…」と複雑な思いを抱いていました。

でも「君たちはどう生きるか」は違いました。

観た人によって異なりますが、それでも確かにあの作品から受け取るものはありましたし、伝えたいという思いも伝わってきました。

本当の本当に、「風立ちぬ」で最後にならなくて良かったと自分は思っています。何様かと思われるでしょうけど。

「君たちはどう生きるか」は間違いなく宮崎監督の最高傑作だと思います。もののけのようにハマるような作品ではありませんが、大事にしたい作品です。何度も観たいとは思いません。それは決して悪い意味ではなく、大切な人からの想いの詰まった言葉を、録音して何度も何度もリピートして聞きたくはないというのと同じです。

買ったBD、大事にしていきたいと思います。


話が長くなってしまいましたが、新年一発目はこんなところで。

仕事が忙しいのでいつ更新できるか分かりませんが、やさしく見守って頂ければと思います。

それではまた来月!

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