高畑監督

2018年04月15日

更新が遅れました。

高畑勲監督が4月5日にお亡くなりになりました。

いつかはそうなるとわかってはいても、実際にその日が来ると愕然としてしまいます。

ありきたりな表現となってしまうのかもしれませんが、ご冥福をお祈り申し上げます。

高畑監督のインタビューやメイキング映像などから察するご性格からして、「あなたに冥福を祈られる義理はない。」と言われてしまうのかもしれません。それでも、書かずにはいられません。

自分は、旧サイトのブログで書いたことがありますが、「平成狸合戦ぽんぽこ」と「かぐや姫の物語」が好きです。

「かぐや姫の物語」はもちろん、商業的には失敗してしまった「ホーホケキョとなりの山田くん」も劇場で観ました。(地方の映画館だったので人が少なく、家族で劇場を貸し切り状態で観たことをよく覚えています。当時のパンフレットも未だに実家に置いてあります。)

「かぐや姫の物語」については、旧サイトで書いたので詳しい感想などはここでは書きません。(当時の記事はこちらに貼っておきます。)しかし、自分にとってはこれまで観た映画の中で一番心に残った作品です。断言します。それは、「もののけ姫」やその他ジブリ以外の趣味も含め、所謂「ハマった」というのとは全く異なる世界の話です。

「もののけ姫」は好きです。一方で、「かぐや姫の物語」は好きかと言われると、好きには好きなんだけど、その質が全く違うんです。いい悪いの話ではないんです。過去のブログと同じことを書いてしまいますが、自分は「かぐや姫の物語」を観ると精神的につらくなってしまいます。観ると色々考えてしまいます。

だから、関連本をいくつも買って、あえてBDとDVDの両方を買ってしまうのですが、それを繰り返し繰り返し観ることはありません。気持ちが収まらなくなってしまうので。

サントラを聴くだけでもかなり哀しい気持ちになってしまいます。

この作品に対する想いは、高畑監督が亡くなった追悼として特別に好意的に書いているわけではありません。本当に作品を観た当時から思っていることです。

上にリンクした過去記事の前の記事に書いたことなのですが、自分がこれまでの人生で「泣いた作品」は「かぐや姫の物語」ただ一つだけです。

実写、アニメ、映画かTVドラマかを問わず、さらには小説や音楽、演劇、絵画など全ての芸術作品を含めて、観ていて涙が零れたのはこの作品だけなんです。

もしかしたら、当時の自分自身が大学生で、それまで住んでいた地方を出て都会に住み、その都会生活が自分には合わないと感じていたことが、なおさら竹の子に感情移入してしまった理由なのかもしれません。

かぐや姫のメイキングの中で高畑監督は、世間のお涙頂戴物(またはそういう演出)というものを毛嫌いしていたところがあり、むしろ「泣かせようと思わない」とおっしゃっていました。それが、自分のように、世間に溢れるお涙頂戴物の作品を観ても泣けないような人間を泣かせたというのは奇妙な話です。

これもまた過去記事の繰り返しになってしまうのですが、個人的にはこれほどの作品が興業的に振るわなかったというのがとても信じられません。憤りさえ覚えます。

「かぐや姫の物語」は、自分にとって本当に大切な作品です。

確かに、「好きなジブリ作品は?」と聞かれれば「もののけ姫」と答えるでしょう。しかし、「人生で一番心に残っている作品は?」と聞かれれば、迷わず「かぐや姫の物語」と答えます。そういう存在なんです。

ところが、それを創った高畑監督がいなくなってしまった…。


スタジオジブリ云々の話ではなく、失われたものが大き過ぎると感じています。




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