10年…
ありきたりな言葉なのでしょうが、あれから10年も経ったとは…。
それぞれの世代に、人生に大きな影響を残した出来事というのがいくつかあると思います。
90年代以降で言ったら、バブル崩壊や阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件、同時多発テロやリーマンショック、そして今の新型コロナウィルス流行だってそうですよね…。
自分を含め、今を生きる人にとっては、10年前の今日起きた震災というのは、そのような出来事の中の一つなのではないでしょうか…。
相変わらず、以下完全に個人的な話になります。(興味無いでしょうけどね!)
10年前の3月、自分は大学1年生で、いよいよ4月から2年生になるというタイミングでした。後期試験も終わり、春休み中だったと思います。
いつも通り、独り暮らししていたアパートでお昼ご飯を食べて、食後にお昼の穏やかな陽気の中で昼寝をしていました。
その時です。揺れたのは。
当時は相模原にあるキャンパスに通っていたのですが、たしかそこで震度5弱だったと思います。
びっくりして、寝起きのまま、買ったばかりの電子レンジが一人用冷蔵庫の上から落ちないように抑えたのを覚えています。(今になると、「そこかよ」って思いますが…。)
大きな地震を経験したことのある方からすれば、震度5弱というのはそこまで大したことない揺れなのでしょうが、自分は初めてその大きさの揺れに遭遇したので、すぐにワンセグでテレビを見ました。(据え置きのテレビを持ってなかった。)
あっという間に、どのチャンネルもニュース速報となり、どこも地震の震源地や規模などを速報で伝えていたと思います。(マグニチュードは確かその後修正されて、より大きなものになったような気がします。)
近所の小学校や中学校からは何やら校内放送している声が聞こえ、少したって子供たちの騒ぐ声も聞こえてきました。
短い間に余震も何度もあって、ちょっとこれは異常な事態だなと思っていると、今度は小さいテレビに津波の様子が流れ始めました。
アナウンサーが避難を呼びかけていて、津波が沖合から陸地に近づいてくるのをヘリから空撮中に、海に近い道路を走る車が映っていたりして、絶句しました…。
津波が田畑をものすごいスピードで覆っていく映像でも、走る車が映っていたような気がします。
大変なことが起きたのだと、その時に実感してきました。
しばらくして原子力発電所が危険になっていると速報が入り、いつどのタイミングだったかは忘れてしまいましたが、ちょっとした爆発シーンが何度も繰り返し放映されていましたよね。
夕方近くになると津波の被害者の情報がだんだんと入ってきて、記憶があやふやなのですが、最初の速報では2、3人が不明とか死亡だったのが、すぐに200人という数字が出てきて、そこからはもう記憶できていません。
本当に、もうこれ以上人数が増えないで…と念じていました。
夜になると、千葉だったかどこかの沿岸の施設が激しく炎上している映像がうつされたり、ヘリからの赤外線カメラの空撮映像が流れたり…。
アパートから少し離れた場所に米軍の小さな補給基地(?)のようなものがあったからなのあか、夜にヘリが大きな音を響かせて飛んでいた記憶もあります。
その後の、スーパーやコンビニから食べ物が消えた棚や、大量の硬貨が入りきらないほど詰め込まれているレジの募金箱。いたるところで言われるがんばろう日本という言葉や、延々と流される記者会見と画面から消えることのない余震・津波情報。原子力発電所を映す遠隔カメラの映像や、この事態に他に流すものがないために繰り返し流されるACジャパンのCM。ネット上での各種デマや不謹慎狩り。計画停電への協力のために暗い部屋で過ごした何日もの夜…。
どれも、目に耳に焼き付いています。
食べる物を探すために、近所のスーパーやコンビニ、ドラッグストアを歩き回りました。
いつも通っていたスーパーで、何も置かれていない牛乳コーナーの前を、小さいお子さんを連れたお母さんがうろうろしていて、なんとも言えない感情が湧いてきたのを覚えています…。
あの頃、放射線の数値がどうのこうので、外を出歩くのも控えたような気もします。
そういえば、震災直後、富士山下でも震度5位の地震があって、富士山が噴火する前兆だという噂も流れていましたよね…。
何もかも、本当に大丈夫なのかと、夜に暗い部屋の中で考えていました…。
(実際には、自分が住んでいたアパートの辺りは計画停電対象から外されていましたが、それでも節電協力のため多くの家が電気を消していました。)
あの頃のことは忘れませんし、忘れようがありません。
それに、今でも故郷に帰れない方々がいるのだから、未だ現在進行形の出来事なのだと思います。
(もし自分が生まれ育った故郷に戻れないとなったら、本当に悲しいです。大学時代は前半は相模原、後半は渋谷のキャンパスだったので、計四年間地元を離れていましたが、もう後半の頃は早く戻りたくて仕方がありませんでした。あの閉塞感に、どうしても耐えられなかった…。ちなみに、そんな当時に公開されたのが「かぐや姫の物語」だったんです。だから、胸に刺さったのかもしれません。)
震災後、何かあった場合に都会では生きられないという考えに至り、首都圏から地方に移住してきた夫婦を3組ほど知っています。(同業者)
こういう方達は口をそろえて、震災を通し、何かあった時に都会では生きられないと考えた、生きるために地方に移住した、とおっしゃいます。
狭い業界、地域の中で3組ということは、他の地方も含めれば相当数の方がそのように移住してきているのではないかと思います。
そういう方達を見て、どうしても、考えてしまいます。
一方では、故郷に帰りたくて仕方がないのに、生きるために地元を去らねばならなかった方々がいるのに、もう一方では、生きるために自ら故郷を去った方々がいる…。
理由と結果は同じなのに、なぜこうも過程が異なるのだろうかと、思わずにはいられません。
当然、どちらが良い悪いではないです。
ただ、自分自身は生まれ育った地元が好きで、どんな理由であれ、ここを離れろと言われると、かなり厳しいです…。
だから、今でも故郷に帰れない方々の気持ちが、ほんの少しでも分かるような気がします。
以前のブログで書いたように、もともともっていた「地元の地域経済に少しでも貢献したい」という気持ちと、震災の「その後」の復興に考えを巡らせた結果、就いたのが今の仕事です。
あの頃、「日本は必ず復興する」、「頑張ろう日本」と言い続けていた世の中に対して、当時何も大したことをしなかった自分が、どこかそれらの言葉に無責任さを感じていた自分が、やっと今、多少はその言葉に、そしてその言葉を言い続けていた世の中に、正面から向き合えるのかなと思っています。
結果的に、なんの力にもなっていないかもしれませんけどね…。
年始のブログに書きましたが、今年は自分の請けの仕事を増やすのが目標です。
実は今、近所の山主さんにこちらから頼んで、初めて請けの仕事(搬出間伐)をさせて頂いてます。(正確には、現場に入るのは明日以降。)
独立前からずっと温めてきた施業方法を、やっと試す機会を作ることができました。
実際にそれがうまく機能するかどうか、今後を左右する大事な局面なのでちょっと不安ですが、とりあえずはやれることやらないと先に進まないので、あまり考えすぎずにやっていきたいと思います。
それにしても、今回初めて請けの仕事で、間伐の申請など事務作業から携わったのですが…。
…事務が時間かかる!!
まぁ、初めてのことなのでしょうがないんでしょうが、県の林務事務所や、建設事務所、町の役場とのやりとりや、山の所有者さんに加えて作業に関係して使わせて頂く土地の持ち主さんとのやりとりが、手間が係るったらない…。
行政機関との事務仕事に慣れている方なら、なんてことない作業なんでしょうけど、なんどもなんどもメールやら電話やらでやりとりして、その度に分からないことが出てくるというね…。
それに、「文面はこれでいいのだろうか」とか、「受け答えは今ので失礼なかっただろうか」とか、なんか別の面でも疲れますね…。
今まで現場で一作業員としてしか働いたことがなかったから、こういうのが初めてなのである意味新鮮ではありますが…。
(本当、こういう人とやりとりする仕事って神経使いますね…。前から思ってましたけど、接客業とかやってる人すごいですよね…。自分は絶対できない。)
とまぁ、そんなこんなで、事務は一段落して、明日以降やっと現場に入れます。
あとは、届け出た期限内に現場を終わらせなければ…。
話を戻します!
あれから10年…。早いものです。
当時生まれた子も、今ではもう10歳ということですよね?
信じられない…。
そして今、また新たな事態となっています。
新型コロナ。
思うんですが、東日本大震災にしても、今回のコロナウィルス流行にしても、こういった歴史的に大変な出来事の影響というものを最も強く受けているのは、学生さん達なのかもしれません。
特に、これから就職先を決めようというタイミングの高校生・大学生。
こういった学生さん方は、まさにこれからの生き方を探し、決めなければならないという中で、大変な出来事に遭遇しているわけですよね。
そういう状況にあって、今回のようなコロナウイルス騒動が彼ら彼女らに与える影響というのは、本当に大きいものだと思います。
それこそ、何をして食べていくか=生きていくかという今後の人生の瀬戸際で、今回の事態を迎えているわけですから、そこに何も影響しないという方がおかしいのかもしれません。
だから、今の学生さん達がそれぞれ就職し、仕事で力を発揮する10年後くらいに、コロナ騒動を経てきた彼ら彼女らが一体どんな方向に向かって何をするのか、なんだか少し楽しみでもあります。
学生さん! とりあえず応援しています! (よほどおかしな道じゃなければの話だけどね! 笑)
結局、いつもと変わらず自分のことばかり書いていますけど、他に吐き出す場所もないし、作る気もないし。
とにかく、あれから10年ということで、後ろと一緒に前も見ていきたい! ってことです!
以上、また来月~。